なんかゲーム&ウォッチが懐かしくて、ググッてみるとトップに出てきたのは任天堂HPの『 社長が訊く「ゲーム&ウオッチ」』 であった。とても濃い内容で、こういうページを公開する任天堂ってすごいな!と思ってしまう。
このゲームは電卓のチップをベースに作られたので、液晶のセグメントが72という制約があり、そのなかで可能なかぎりの面白さを詰め込むために開発者が苦労したとか。制約の中で最大限の努力をする方が面白いものができるということはなんとなくそうだなあとか思うね。

ゲームウォッチはゲームの原点を見ているような気がする。タイミングよくボタンを押す、たったそれだけのことなんだけれどそれですごく悔しかったりすごく充実感で満たされたりする。よくよく考えてみると不思議だよね。こんな簡単な装置で人間の気持ちを大きく動かすことができるんだから。

でもゲーム&ウォッチの開発のためにたくさんの人が大変な努力をしていたことを知るとまあそれも当たり前かなとかいう気がしてきた。

実は20歳代前半は数年くらい大手のゲーム会社でゲームセンター向けのプログラマをしていたのだけれど、当時でもハードウェアの能力を持て余し気味であった。
ハードウェア開発部門が高機能なハードウェアを作ってくるので、そのハードに見合うゲームを作れ!みたいな感じになってしまうのだが、そういう形でアイデア出しを進めてもなかなかまとまった形にならず、結局そのハードウェア能力でなくても十分作れるようなものに落ち着いてしまったりする。
逆に企画がすごすぎてハードが追いつかない位の方が、制約を乗り越えるための努力をするので結果いいものができるのではないかと思う。開発チームの中でもヒット作を連発するチームはなんかそんな感じであった。
ファミコンを作る開発チームも似たような感じだった。ファミコンは制約だらけのハードなので作るほうは大変である。
が、ファミコンのスペックをしゃぶり尽くすようなソフトとアイデアで、面白いゲームを連発していた。ゲームセンター向けのゲームの移植も結構あったけれど、そのゲームの特徴を残しながらハードウェアの貧弱さをカバーするための取捨選択をとても上手に行っていた。

私はその後中小のゲーム会社に転職した。その会社はハードウェアをつくる能力は貧弱であったので、大手のゲーム会社に負けないくらいの表現をすべく必死に努力した。制約を乗り越えるような表現ができたときは本当に嬉しい。
この会社では企画の人と毎日喧嘩になるくらい議論してゲームを作り上げた。実際セールス的には振るわなかったのだけれど、充実感はあったように思う。